最近の風潮として、ワークライフバランスと言うことがよく言われます。この「ワークライフバランス」という言葉に引きずられるように「長時間働くことは悪い」と言う意見をよく聞きます。また、実際に私の周りにも自分の時間を大事にしたいと言うことをよく聞きます。自分の時間を大事にすることは確かに大事でしょう。家族との時間も大事だし、何よりも「生きるために仕事をしている」のであって「仕事をするために生きている」わけではないですから。
では、仕事の何かを達成するためにがむしゃらに働いたり長時間働くことは悪いこと、いや、ださいことなのでしょうか?
お金を稼ぐとは
仕事をすることで人は生活の糧であるお金を稼ぎます。もちろん、仕事をしないでお金を稼ぐことができる人も居ますが、今回は一般的な労働者に話を限定したいと思います。仕事をすることで得られるお金、給料と言われますが、これはどうして得られるものなのでしょうか。
子供の頃、私はお金を稼ぐと言うことはどこか汚らわしいことをするように感じられました。なぜかわからないのですが、金銭の対価を求めることは恥ずかしいことであったり、汚らわしいことであったりするような感覚がありました。今考えてもどうしてそう感じていたのかはよく思い出せませんが、とにかく感覚としてそのように思っていました。
そんな私を見かねたのかどうかはわかりませんが、父親から言われたことがあります。
「お金を稼ぐと言うことは自分の行ったことが誰かの役に立ったからその対価を受け取ると言うことだから、人の役に立てるように努力しろ」
きっとその頃の私は矛盾を感じていたのでしょう。お金を稼がないと生きていけないけれども、お金を稼ぐことはどこか汚らわしいと感じるという矛盾ですね。その矛盾をこれほど明快に砕いてくれた、ある意味私にとってはパラダイムシフトな話はありませんでした。人の役に立つからお金を頂戴できる。つまり、人が働くと言うことは常に人の役に立ち続ける必要があると言うことに気づいたわけです。
働くとは
働くと言うことはお金を稼ぐことなので、人の役に立つと言うことです。では、たとえば残業代が出ないような状況(年俸制の会社などを想定しています。いわゆるブラックな会社は考慮しません。)の場合、できるだけ労働時間を短くすることが頂戴するお金の価値を時間あたりに高めることになりますがこれは本人にとってよいことなのでしょうか。この場合、自分の時間も確保できるため、いわゆるワークライフバランスが保たれるようになりますが、本当にすばらしいことなのでしょうか。
この事を考える場合、一つ大事な視点が抜けています。それは、働くことで得られる経験を得にくくなると言うことです。
確かにワークライフバランスはとても大事ですが、人は年をとるごとに社会に対する自分の価値が相対的に下がります。これは自分の生きてられる時間が短くなるためで、生きている時間が短くなれば知識を受け取ったとしてもそれを有効活用する時間が限られてくるためです。また、生きられる時間が短くなると言うことは、可能性が狭まることになります。さらには肉体的にも衰えが出てくるわけです。
つまり、人は年をとるごとに自分の価値が減少するため、それを補うための経験が必要になるわけです。経験が得られなければ年をとるごとに自分の価値は減っていくわけで、減少した価値から人の役に立つための働きを行わなければならず、衰える能力で現状維持を行うとてつもなく大変な状態になるわけです。
人は学習します。様々な事から学習します。本からも学ぶし、映画やドラマ、ゲームからも学びます。けれども、これらから学んだものは実際に試してみない限り経験にはならないのです。経験を得る、つまり実戦を経験できる手近な場所はというと仕事として働くことだと思うのです。
つまり、働くと言うことを通して人は知識を実体験という経験へ置き換えることができ成長を加速できるようになるのです。
仕事は試す場所か
ここまでで、人は仕事を通じて経験を得ることができ、その経験を元に自分の価値を高められる事がわかりました。ただ、一つ考えなければならないことがあります。仕事をするということは自分の経験を得るための実験をする場なのかということです。
やはり、仕事では効率を高めるために必要な事を行う必要があります。できるだけ無駄がなく、最短コースを進み、できるだけ失敗がないようにする。これは仕事を行う場合の基本でしょう。ただ、仕事とは誰にとっても初めての経験の積み重ねでもあるのです。誰にでもはじめはあります。どんなことでも物事の表と裏を知り尽くしているような人はいません。やはり、大なり小なり知らないことが多いでしょう。
けれども、試行錯誤を繰り返しつつも自分が責任を持ってやり遂げることを前提とするならば仕事は経験を得るための実験の場となると思います。そうしないと、仕事は誰にもできなくなってしまうからです。初めての人は仕事を任せられないとなると、仕事を行う人が居なくなってしまいます。
ただ、もちろん仕事をすることは責任を全うする事につながります。これは、仕事をする人の前提条件ですね。
この責任を全うするためには、仕事を一定の成果を上げる状態にする必要があります。成果を上げるために創意工夫を行うわけですが、初めてのことはとにかく時間がかかります。調べ物一つとっても時間かかります。結果として仕事の責任を全うする場合、得てして時間が想定以上にかかってしまうわけです。
がむしゃらに働くこと
ようやく最初の話に戻ってきました。がむしゃらに働くことはださいのか ということです。私は決してそんなことはないと思います。経験を得るためには試してみる必要があります。本に書いてあったことでも何でもそうですが、試してみるためには試せる場所が必要なのです。そのために仕事を活用するしかないように思います。ただ、仕事を活用する場合には、責任を持って自分が仕事を成し遂げる必要があるのです。試してみたところ失敗することもあるでしょう。けれども、それはリカバリして最終的に目的を達成する必要があるのです。試してみたところ思ったより時間がかかることもあるでしょう。けれども、最終的には帳尻を合わせる必要があるのです。
そのことをよくわかっている人は、自分が何かを試してみるときにはがむしゃらに、時間を気にせず働くでしょう。
仕事をすることや働くことはお金を得る以上に得るものがたくさんあります。人とのつながりもそうですが、なによりも本人にとって一番大切な経験を得られるのです。ワークライフバランスという言葉は大事ですし、そのことが自分の人生にどのような影響を与えるのかをしっかりと考えて、近視眼的にならないように判断しなければならないように思います。