興奮は伝達する

関東にいるとスマートフォンが世界を席巻している可能用に感じていたのですが、果たして本当にそうなのだろうかと考えさせられる機会がありました。

先月の中頃、帰省のため関西へ帰ったときのことです。電車の中でAndroidはどの程度使用しているのだろうと楽しみにしていたのですが、、、ほとんど見かけることはありませんでした。iPhoneでさえほとんど見ることはなく…。iPadは影も形も見ることはありませんでした。休日の昼間時間帯の電車や繁華街などへも行ってみたのですがいまいちスマートフォンを持っている人を見かけませんでした。

まぁ、このことを持ってスマートフォンがはやっていないとか駄目だとか、そんなことを言うつもりはないのですが、関東のそれも東京都心へ向かう通勤電車の中の風景というのはある意味では様々な出来事の渦中にあるのだなぁと感じました。その出来事が今後も続くのか続かないのかは結果論なのでわからないのですが…。

渦中にいると言うことは、良くも悪くもその出来事が当たり前になりみんながそのようにしているという幻想を持ってしまいがちな気がします。事実私は日本中で都心部はフィーチャーフォンからスマートフォンへシフトしているものだと思っていました。

(単に私が勝手にそう思っているだけかもしれませんが…)

やはり、渦中にいると言うことは興奮の渦に巻き込まれているわけで、冷静に見ているつもりでも少なからず興奮しているようです。このような出来事の渦中にあるときには、数字のような客観的な事実がほしいところですが、なかなか見つかるものではないです。

ここまで楽しくもあったAndroid開発ですが、一歩引いてビジネスとして考えたときにどのようにもうけるかを練り直そうと思います。